ガン 前立腺がん

暖かい日が続くかなと思えばまた寒くなったりで、
厚着をしてジワッと汗をかいたり、
薄着をして震えていたりしています。

先日、庄内地方に行ったときからノドが痛くなり、
きょうは寒気がして熱っぽくなり、
どうやら久しぶりに風邪にやられたようです。
ワン公さまたちとの散歩も、すこしのあいだは控えないと・・・。

4月の上旬を迎えると、ちょうど前立腺がんの手術をしてから4年目に入ります。
手術をする3~4年前から、お客さまのところでお茶などを2杯以上飲むと、
以前はガマンできたオシッコ(尿意)がガマンできなくなり、
「すみません、トイレどこでしたか?」とお願いすることが多くなりました。
気になって開業医さんにかかり、「トイレ近くて」と問診で話すと、
すぐ下腹部の超音波検診と肛門からの触診です。
「チョッと前立腺炎みたいに見えるけど、たいしたことないだろう。
前立腺のカベも少し硬いようだが、炎症のせいだろうな」と言われ、
尿意を抑えるクスリを処方されました。

そのクスリをのむとオシッコ近いのは良くなり、
治ったつもりでいましたが、
そのクスリが切れてしばらくすると、
また同じようになります。
その頃(H18年)人間ドックでのPSA値は、3.0くらいでした。

H19年は3.5、H20年の12月の人間ドックでのPSA値は4.02です。

手術をする3年前から右肩あがりでのPSA値に要精密検査となり、
行きつけの開業医さんに行ったら「S病院を紹介するからソチラでね。」と逃げられ?、
言われるがままにS病院へ行き、前立腺の容量を測る器具で検査しました。

「アナタの前立腺の容量は約20ccで異常なしです。
前立腺肥大の可能性はとても低いから、
細胞検査しましょう。1週間後に結果でますから」とT先生。
いやな予感しましたが「先生!ガンの可能性はどのくらいです?」と聞くと、
「40代で前立腺ガンはほとんどいないから、80%はガンじゃないでしょう」

検査結果の出る日、地元のS病院に向かいながら、
「オレはダイジョウブだ、運動もしてるし病気になったこともないし。
先生は80%はガンでないと言ってたし。」

H21年3月中旬のお昼過ぎにT先生はアッサリとした口調で平然と、
「細胞検査では前立腺がんです。10本の針のなかで、2本が当たりました。」

そう告知されてから早いもので丸3年です。

その病院のT先生は、手術を含めた数種類の方法を説明してくださったのですが、
ショックでボーっとしたままの状態になり、
何を聞かされたのか正確に思い出せません。

前立腺ガンの悪性度を示すグリソンスコアは3+3、
http://zenritsusen.fc2web.com/susumiguai.htm
進行のステージはT2aと言われましたがチンプンカンプン。
ようやくした質問は「先生!あと何年ぐらい生きられますか?」と、
「どこで手術をしてもいいんですよね?」くらいでしたね。
また「死んだら生命保険はナンボ出るんだっけ」とだけ考えながら、
先生のハナシをうわのソラで伺っていました。

家に帰ってカミサンに報告し、
ネットで情報を見てから次の日に、
T先生へ「どうせなら千葉の国立がんセンターで手術しようと思い電話しましたが
3ヶ月待ちですと言われました。
なので東北で一番前立腺がんの手術をしている
「山形県立中央病院を紹介してください」とお願いして、
1週間後にセカンドオピニオンを受けることになりました。

山形県立中央病院のH先生あての紹介状を持参し、いよいよ診察タイムです。
手術とか他の治療法の説明を受けましたが、
手術以外の治療法は再発のリスクが高いのかな?と感じていたので、
先生のハナシをさえぎるように「手術でお願いします、先生におまかせします」なんて、
カッコウつけたわけではないですが、のちにイロイロと後遺症もある手術を選択しました。
そのときは手術が良い選択だと思っていたし、
術後の後遺症のことなどアタマの片すみにもありません。

良いことも悪いこともあった手術ですが、
その点を含めてまた書いてみます。

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