ガン 前立腺がん いざ手術
前立腺がんと診断されて手術を受ける日までは、
術後の後遺症などに目を向ける余裕や知識もありませんでした。
死について考えると沈んでくるので、
病院に持ち込んだノートパソコンに入れた子供たちの写真などをながめて、
楽しかったことだけを思い浮かべるようにしていました。
それでもアタマのなかを占めるのは、
手術後の生存率や再発の可能性はどのくらいか?でしたね。
21年4月3日に山形県立中央病院に入院し手術当日の4月7日までは、
体調を整えるための期間です。
手術前日に、ヘソからモモの付け根までの体毛をバリカンのようなモノで剃られます。
そして腹のなかをキレイにするため、夜と朝の2回に分けて下剤を飲みます。
手術当日の朝は、水のようなものしか排泄されませんでした。
この時の排泄物は、看護師さんが必ず確認して先生に報告します。
いよいよ手術当日の朝を迎えますが、
ジタバタしてもどうにもならない気持ちでいたせいで、
前の日もグッスリ寝て体調もいつものようにバッチリです。
「ほんとうにガンなのかなあ?」と思ったりしていると、
麻酔科の先生が看護師さんを引き連れてやってきました。
エレベーターに乗り、手術室のある3階で降ります。
手術室の前では青色の服を着て帽子を目の上までスッポリかぶり、
おおきな白いマスクをして人相などサッパリわからない看護師さんたちに、
出迎えられました。
「は~い、リラックスして~、ゆったりした気分でねッ!」と声をかけられた瞬間に、
コチラが緊張モードに切り替わってしまいました。
麻酔科の先生が背中に麻酔針を差し込みます。
カラダがこわばっていたのか、この針がナカナカうまく入りません。
それでも3回目くらいで背中深くに命中したようで、
しびれたような感じです。
次に酸素マスクのようなものを口に被されて、
「ハーイ、行きますよ!サンッ・ニッ・イチッ!」の掛け声とともに麻酔ガスがカラダに入り、
ここから先は気を失ったようで手術中は思い出なし。
手術が終わってから病室に帰ってくる途中で、
看護士さんから両頬をたたかれてようやく目が覚めました。
ボーっとしていましたが「目をあけて!眠ってダメ!」と言われたコトだけおぼえています。
意識がモウロウとしていたのは、
前立腺と直腸が癒着していたため、
それを切りはがすのに手間取って1000ccの出血があり、
そのせいで体温が34℃以下だったそうです。
手術後専用の病室に搬入されてしばらくすると、
体温が低いためブルブル寒気がします。
毛布を2枚かけましたがどうにもならず、
さらに電気毛布をかけてもらいました。
そのうえ麻酔が切れかかって痛みます。
少し落ち着いてからあたりを見まわすと、
腹には体液を排出するドレーンがあって、
ドレーンの先のビニールパックには、
血の混じったどす黒い色の体液が見えます。
またオシッコを体外に出すためのドレーンもあります。
これもドス黒くて手術を実感しました。
手術後から次の日の昼くらいまでは、
痛みや麻酔?でほとんど寝ていました。
起きたのは、お見舞いに来てくれたM先輩にあいさつするときだけでした。
Mさんは現在71歳になりますが、
平成18年に前立腺がんの手術をしてから再発もなく、
元気に過ごされています。
3日目からは先生や看護師さんから「すこしづつ歩くように」言われ、
カラダから2本のドレーンをだしたまま病棟の廊下を歩こうとしましたが、
歩くたびに痛くてすぐ止めてしまいました。
「ちゃんと歩かないと、ドンドン動けなくなるよ!」と言われても、
痛みには勝てません。
7日後に腹部からのドレーンを抜いてもらいましたが、
尿のドレーンからはマダ出血しています。
前立腺がんの手術をするために入院してきた当時58歳のKさんとその奥さんは、
病棟の廊下をウロウロしていたコチラの真っ白で精気のない顔と、
血が混じってどす黒くなったドレーンのビニールパックをみて、
なんて言葉をかけて良いのか迷っているようです。
目線を上から下までゆっくり動かして、
「手術後はこうなるんだ」と確認しているようでしたが目の前のひどい姿に、
二人してすっかり固まっていました。
2週間後、いよいよ抜糸です。
通常は抜糸が終わると3~5日で退院となり、
間もなく家に帰れるウレシサでルンルンです。
担当のH先生は研修中の医大生を連れて病室にやってきました。
抜糸は研修生がやりましたが、そんなに痛くありません。
そのときに尿のドレーンも抜きましたが、
これが長い入院生活の引き金になってしまいました。
手術前は約20日間で退院できる予定でしたが、
結果的にドレーンを抜いたタイミングが悪くて尿が体内に漏れ、
立っていられないほど痛みます。
座薬を入れたり痛み止めの注射を打ってもらいましたが、
ほとんど変わりません。
おかげさまでこの時の痛みを思い出せば、少しは打たれ強くなりました。
それからふたたび尿道にドレーンを入れ、
尿道が元どおりになるまでそのまま入院継続となり、
エンエン43日間の病院暮らしとなりました。
一番の楽しみは食事、二番目はおなじ手術をして入院していた人たちとの会話、
三番目は何から何まで世話してくださる看護士さんとのくだらない会話・・・。
術後の後遺症などに目を向ける余裕や知識もありませんでした。
死について考えると沈んでくるので、
病院に持ち込んだノートパソコンに入れた子供たちの写真などをながめて、
楽しかったことだけを思い浮かべるようにしていました。
それでもアタマのなかを占めるのは、
手術後の生存率や再発の可能性はどのくらいか?でしたね。
21年4月3日に山形県立中央病院に入院し手術当日の4月7日までは、
体調を整えるための期間です。
手術前日に、ヘソからモモの付け根までの体毛をバリカンのようなモノで剃られます。
そして腹のなかをキレイにするため、夜と朝の2回に分けて下剤を飲みます。
手術当日の朝は、水のようなものしか排泄されませんでした。
この時の排泄物は、看護師さんが必ず確認して先生に報告します。
いよいよ手術当日の朝を迎えますが、
ジタバタしてもどうにもならない気持ちでいたせいで、
前の日もグッスリ寝て体調もいつものようにバッチリです。
「ほんとうにガンなのかなあ?」と思ったりしていると、
麻酔科の先生が看護師さんを引き連れてやってきました。
エレベーターに乗り、手術室のある3階で降ります。
手術室の前では青色の服を着て帽子を目の上までスッポリかぶり、
おおきな白いマスクをして人相などサッパリわからない看護師さんたちに、
出迎えられました。
「は~い、リラックスして~、ゆったりした気分でねッ!」と声をかけられた瞬間に、
コチラが緊張モードに切り替わってしまいました。
麻酔科の先生が背中に麻酔針を差し込みます。
カラダがこわばっていたのか、この針がナカナカうまく入りません。
それでも3回目くらいで背中深くに命中したようで、
しびれたような感じです。
次に酸素マスクのようなものを口に被されて、
「ハーイ、行きますよ!サンッ・ニッ・イチッ!」の掛け声とともに麻酔ガスがカラダに入り、
ここから先は気を失ったようで手術中は思い出なし。
手術が終わってから病室に帰ってくる途中で、
看護士さんから両頬をたたかれてようやく目が覚めました。
ボーっとしていましたが「目をあけて!眠ってダメ!」と言われたコトだけおぼえています。
意識がモウロウとしていたのは、
前立腺と直腸が癒着していたため、
それを切りはがすのに手間取って1000ccの出血があり、
そのせいで体温が34℃以下だったそうです。
手術後専用の病室に搬入されてしばらくすると、
体温が低いためブルブル寒気がします。
毛布を2枚かけましたがどうにもならず、
さらに電気毛布をかけてもらいました。
そのうえ麻酔が切れかかって痛みます。
少し落ち着いてからあたりを見まわすと、
腹には体液を排出するドレーンがあって、
ドレーンの先のビニールパックには、
血の混じったどす黒い色の体液が見えます。
またオシッコを体外に出すためのドレーンもあります。
これもドス黒くて手術を実感しました。
手術後から次の日の昼くらいまでは、
痛みや麻酔?でほとんど寝ていました。
起きたのは、お見舞いに来てくれたM先輩にあいさつするときだけでした。
Mさんは現在71歳になりますが、
平成18年に前立腺がんの手術をしてから再発もなく、
元気に過ごされています。
3日目からは先生や看護師さんから「すこしづつ歩くように」言われ、
カラダから2本のドレーンをだしたまま病棟の廊下を歩こうとしましたが、
歩くたびに痛くてすぐ止めてしまいました。
「ちゃんと歩かないと、ドンドン動けなくなるよ!」と言われても、
痛みには勝てません。
7日後に腹部からのドレーンを抜いてもらいましたが、
尿のドレーンからはマダ出血しています。
前立腺がんの手術をするために入院してきた当時58歳のKさんとその奥さんは、
病棟の廊下をウロウロしていたコチラの真っ白で精気のない顔と、
血が混じってどす黒くなったドレーンのビニールパックをみて、
なんて言葉をかけて良いのか迷っているようです。
目線を上から下までゆっくり動かして、
「手術後はこうなるんだ」と確認しているようでしたが目の前のひどい姿に、
二人してすっかり固まっていました。
2週間後、いよいよ抜糸です。
通常は抜糸が終わると3~5日で退院となり、
間もなく家に帰れるウレシサでルンルンです。
担当のH先生は研修中の医大生を連れて病室にやってきました。
抜糸は研修生がやりましたが、そんなに痛くありません。
そのときに尿のドレーンも抜きましたが、
これが長い入院生活の引き金になってしまいました。
手術前は約20日間で退院できる予定でしたが、
結果的にドレーンを抜いたタイミングが悪くて尿が体内に漏れ、
立っていられないほど痛みます。
座薬を入れたり痛み止めの注射を打ってもらいましたが、
ほとんど変わりません。
おかげさまでこの時の痛みを思い出せば、少しは打たれ強くなりました。
それからふたたび尿道にドレーンを入れ、
尿道が元どおりになるまでそのまま入院継続となり、
エンエン43日間の病院暮らしとなりました。
一番の楽しみは食事、二番目はおなじ手術をして入院していた人たちとの会話、
三番目は何から何まで世話してくださる看護士さんとのくだらない会話・・・。
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