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白い恋人

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賞味期限を過ぎて販売して、話題になった有名な御土産品は、 ご存知のチョコ、白い恋人だが、 飯豊町中津川地区のそのまた奥の部落で作る御酒、 この寒い時期しか作ることのできない、通称「どぶろく」は、 まさに白い恋人である。 気温が10度を超えると、急速に発酵は進むので、 フタは稲わらの栓をしてある。 保存には雪の中につっこんで置くのが最適なのだが、 今年は暖かく、雪は降っては融けてしまい、 北向きの屋根下にわずかに残った雪をかき集めて、 その中で保存している。 名人の作る今年の「どぶろく」は少し甘みは足りないが、 発酵して出る炭酸のおかげで、喉越しは相変わらずすばらしく、 夜になりグラスを持つのが待ち遠しい。 名人の家は、深い山々に囲われ、 常にミネラル豊かな湧き水が溢れている。 その水と、それで育ったうるち米で作る冬限定の酒、 名人のドブロクは、よほどのへそまがりでない限り、 こんなうまい酒は初めてだァと。

冬至

12月22日の冬至が近づくにつれ、 夜の暗やみはどんどん長くなり、日の出は遅く、 どうしても起きるのは遅くなる。 普段は5時ごろもそもそと起き出すのだが、 この頃は6時チョイ前ぐらいで、一日の稼働時間は、 あたりまえに、一時間ほど短くなる。 いつも年末は、追い立てられるようにパタパタするが、 ことしも真っ白な年賀状を前に、そのとおりになる。

蛍雪

久しぶりに銀世界となり、その雪明りを感じて、 すっきりと目覚める。 やはり米沢は、いつもどおりの1mを越える積雪にならないと、 さしさわる人は大勢いる。 排雪作業、雪下ろしに関わる土建屋、建築業、重機オペレーターは、 雪が少ないと、機械と人を遊ばせておくことになる。 大雪になると、数億円単位の米沢市の除雪予算を、 ふんだんに使いきり、末端までウハウハになる。 山菜やキノコ、山に住む動物のえさとなるドングリやブナの実は、 大雪の年が明けた春と秋には、豊富になる。 春が待ち遠しくなるくらいの冬に、いつか戻って欲しい。

修理代

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総額28万円、追突されて修理済みのポルシェの請求書には、 そう記されている。 修理箇所は、目視では左右テールレンズの間にある、 センターガーニッシュにわずかなヒビがあり、 リアバンパーに付着している衝撃吸収用?のゴムがずれているぐらいで、 リアバンパー本体に損傷あるかどうかは、不明だった。 英オートサービスさんでは、 http://www.hanabusa-auto.co.jp/ リアバンパーを脱着し、ゆがみを矯正し、 センターガーニッシュを新品に交換していただいた。 国産車の場合だと同様の修理では、代車代を含め12万円くらいだろうから、 やはりポルシェの修理代は、リアエンジンであり、その特殊性もあって高額となる。 このたび追突した相手は、JAやまがたの任意保険に加入していたから、 対物保険でお互い自己負担無しだったが、 相手側が、無保険車だったらと思うと気味悪い。 日頃の足で使っている、2ストロークのジムニーには、 自己の過失にかかわらず25万円分の車両保険を付保している。 まさかポルシェが追突されるとは考えもしなかったので、 これには車両保険は掛けていない。 それにジムニーの任意保険料は年間5.5万円だが、 同様に車両保険650万円をポルシェに付保すれば年間30万円となる。 年間2000kmしか乗らないその車に、そんなお金は無駄に思えて?

ヤマハ・セロー

暖かな日が続き雪は融け、遠くの山並み以外、 白い雪は見えない。 小春日和のような12月8日は、 オフロードバイクのヤマハ・セローに乗り、近所を徘徊する。 スニーカーの紐のあいだから、冷気はビュンビュン入り込み、 足元からしびれてくる。 たった15kmのバイクによる散歩だったが、 エンジンは快調に鼓動を刻み、喜んでいるようで、 寒いけどこちらの気分は、晴れる。

廃屋の集落

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南陽市の、とある山の中の廃屋の小屋に、 多量の薪があったと聞いて、見てきた本人と、 軽トラックに同乗してルンルンと向かう。 自宅から40分ほど走った山あいにある部落は、 5~6戸の小さな集落で、どの家も雪で押しつぶされて ひしゃげていたり、骨組みだけだったり。 目的の廃屋の小屋は確かにあった。 母屋は半分以上つぶれているが、小屋は元のままで残っている。 中にある薪はスギの木で、何年もそのままで放置されて、 シロアリが巣食い、中はスカスカで使い物にならない。 同乗している星さんは、もう一つ山の中の集落があるよ、 と言うので、ついでだからそこに行くことにする。 りっぱに舗装された林道を、どんどん駆け上がる。 道路には落ち葉が重なり、ほとんど車の往来は無いようだ。 県道からくねくね折り曲がる林道を、上がり下がりすること30分、 辺りは山また山のその中に、ようやく小さな集落を見つけた。 道端に立てかけてある、昭和50年当時の部落案内板には、 9戸の配置図と名前が記されていた。 廃校になって久しい分校もある。 現在一戸だけに、人は住んでいるらしい。 都会のビルだらけの街並みにも驚きはあるけれど、 あたり一面森林以外何も無い山の中を、 30分も走り続けてようやく見つけた、 廃屋だらけの集落に、 二人とも声は出なかった。

千眼寺

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自宅から歩いて5分のところのあるお寺には、 先祖のお墓がある。 そこの千眼寺で、毎年12月4日にお年越しの餅つきが行なわれ、 つきたてのお餅を近隣の人々にふるまう。 http://www.mapple.net/news/news.asp?NewsID=48166 寛永18年(1641)に病害虫が発生したとき、 神のお告げにより千眼寺保呂羽堂の、 縁の下の砂を田にまいたところ、 虫が退散したのでお礼に村人が、収穫したもち米で餅をつき、 保呂羽堂に供えたのが始まりいわれている。 われわれ若い衆は朝5時にお寺に集まり、 午前5時半からつき始め、 途中休憩を挟みながら午後3時半頃まで約10回ほど、 3つの臼を7~8人で取り囲み、杵(きね)を持ち、 ねり唄・つき唄・あげ唄を唄いながら餅をつき、 つきたてのお餅を参拝者に振る舞う。 つき上がった餅を天井高く突き上げ、 天井のススが付いた餅ほどご利益があるといわれている。 子供の頃は、ヒューヒューと音を立てて吹き付ける雪の中を、 近くの子と一緒に歩いて食べに行った。 つき手の若い衆として参加したここ25年は、 吹雪の12月4日の記憶は無く、 ここでも温暖化の影響を感じる。

関越トンネル

青梅市の英オートサービスからの帰り道は、 慣れた東北道では眠くなりそうなため、 圏央道から関越道へ入り、北陸道、磐越道を通り、 会津若松インターで降りることにする。 関越道を通るのは20年ぶりで、前回の記憶は、 いつまでたっても出口の見えないほど長い、 関越トンネルしか覚えていない。 気分的には、初めて通る道と同じで、ワクワクする。 関東平野から群馬県の、高崎インターまで走ると、 周りには高い山々が見える。 何人もの首相を輩出した群馬県は、 どんな県民性なのかと思いながら120km/hで流し、 赤城高原インターでガソリンを入れる。 ゆっくり走ったおかげで、燃費もよく、 リッターあたり9kmの計算になる。 普段は平均140km/hで走り、約8Km/hの燃費なので、 3600ccの空冷高出力エンジンにしては、充分すぎるくらいだ。 会津若松インターから国道121号線を経て、米沢市に帰る。 青梅市から米沢市まで、約440kmの道のりで、 東北道経由より100kmも遠回りだった。